日本人に根を張る組織病理、これを意識しましょう。
なぜ日本は同じ過ちを繰り返すのか 太平洋戦争に学ぶ失敗の本質 (SB新書)
- 作者: 松本利秋
- 出版社/メーカー: SBクリエイティブ
- 発売日: 2016/07/06
- メディア: 新書
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本書の表現には同意できないものも多々ありましたが、勉強になったのでメモしておきます。日本とともに、第二次世界大戦を戦ったドイツ。意外なことに、ナチス政権は総力戦、国民総動員の措置を取らなかったのだそうです。降伏する二年前までは「平時経済」。実際、ドイツの奢侈品を含む消費財生産は1943年で「91」、1944年で「84」(1939年=100)、この数字はあまり下降していないと判断するようです。なぜならイギリスは1943年が「54」(1930年=100)とまさに戦争経済に陥っていました。両国は比べる基準が異なるので一概には言えませんが、歴史の意外な一面に気付かせてもらいました。
日本の戦時体制は「尻尾に振り回された」と表現できるでしょう。たとえば、中国・満州の鉄道守備隊として発足した関東軍。のちに、張作霖爆殺事件を引き起こすなど、日中戦争の泥沼に日本を引きずり込んでいきますが、いわゆる「暴走」と呼ばれるその状況に対し、日本政府は有効な手を打てませんでした。しかしこれは、陸軍内部にも関東軍とつながる一派がいたからです。政府首脳に対し、軍部は一定の発言権をもち、かつ軍部内部の派閥間対立もありました。したがって指揮系統は必ずしもスムーズではありませ。この悲劇的構図が関東軍の暴走を生み、さらにソ連と交戦に至った「ノモンハン事件」での大敗北(1939年)を招きます。日本軍の死傷率76%(18,000人)は他の戦闘をはるかに上回り、現地・軍首脳の無能ぶりをさらけ出してしまいました。
『ノモンハン事件』を分かりやすく解説!その真実とは? | Cosmic[コズミック]
「尻尾に振り回された」とは、あたかも現場が強いようなイメージですが、実態はそうではありません。要は、組織が一体化していないという意味です。この点で言えば、太平洋戦争における日米海軍の対応力の差を見ても同様です。真珠湾で痛手を負った米軍は、直ちに人事を入れ換え、現場の意見を吸い上げて、様々な対策案を繰り出しました。一方、日本軍は、人命を軽視し、兵力を各島に分散させて、希望的観測の作戦に終始していました。南太平洋で日本軍が駐留した島は「25」、そのうち米軍が上陸占領したのはわずかに「8」、その後米軍は日本側の補給路を断ち、日本本土を目指しました。本来は島嶼ネットワークで米軍の空母に対抗するはずだったにもかかわらず、日本側が準備した7割の島はムダになってしまったのです。
▽ビジュアル年表「太平洋戦争1941~1945」 http://mainichi.jp/m/?8lsFL1 – 地球倫理:Global Ethics
「太平洋戦争で最も無謀と言われた作戦」、それがインパール作戦です。およそ3万人の日本軍が命を落としたそうですが、インパールにたどり着くことなく、しかも病死者、餓死者、自決者が相次ぎ、日本兵の死体が延々と並んだ街道は「白骨街道」と呼ばれました。その作戦を強行した司令官は、杜撰な作戦の責任を取らされ更迭となりますが、日本に生還し、戦後まで生き延びました。作戦を失敗し、多くの人命を犠牲にした軍部・高級官僚が、軍法会議で責任を問われることなく、生きながらえた事例は多々あります。人事が人情で行われ、作戦が精神論に置き換わり、最後の責任も曖昧にされてしまう。日本的組織の、最低・最悪の部分が、先の大戦では多々見られました。
無謀と言われたインパール作戦 戦慄の記録 | NスペPlus
「戦略がない」とは日本的組織でよく指摘されることです。勝てる目算もなく、戦艦大和に乗務員2,000人以上を乗せ、敵艦への体当たりを図りました。「1億総特攻の先駆け」という間抜けな標語のもと、尊い命が犬死にしました。しかもその特攻が成功するための秘策を持っていたわけでもなく、たとえ奇跡的に成功したとしても、戦争そのものを逆転するシナリオはありませてでした。国家予算の4%を投入した戦艦の最期は、この大戦に臨んだ日本と同じく、あっけないものです。わずかな敵機の魚雷と爆弾により、大和は大爆発を起こし、鹿児島・坊ノ岬沖に沈没しました。自暴自棄のような、この出撃判断は、無能なトップと、殉死を美化する日本人の精神性を反映したもののように感じます。
冒頭書にも指摘されていますが、日本の組織に根付く病的な現象は、今日にまで引き継がれているところもあると思います。それを美化することなく、えぐり出して、今日の教訓としたいものですね。
大和撃沈70年:最後の特攻、敵機撃墜たった3機 - 毎日新聞