天下無双ユニクロは、高みを目指し続ける

1時間でわかる 図解ユニクロ (中経出版)

1時間でわかる 図解ユニクロ (中経出版)

 

 

国内外で成長を続けるユニクロは、今や日本を代表するグローバル企業です。日本国内の店舗数こそ伸び悩んでいます(827店舗:2018年8月末)が、海外は右肩上がりの成長を続けており、その半分を中国が占めています。気づけば、海外全体の店舗売上もついに日本国内と肩を並べるまでになりました。同書の発売当時は、ユニクロとビックとのコラボや、ユニクロ傘下の5ブランドを銀座で共同出店するなど、常に世間の注目を集めていました。

 

店舗数 | FAST RETAILING CO., LTD.

  

ユニクロの誕生は1984年まで遡ります。その一号店は広島の小売店舗でした。1998年、あのフリースが一斉を風靡(200万枚)し、売上も1000億円台に乗りました。そこからの快進撃は記憶にあるでしょう。成長は倍々ゲームになりました。ちなみに、会社名である「ファーストリテイリング」は1991年に名付けられました(前身は「小郡商事」)。同社がメーカーとして有名になったフリースは、中国製造に乗り出し、5000円以上で売られていたフリースを1900円で販売しました。今でこそ、衣服の中国製は品質がいいと言われますが、当時でこれを成し遂げたユニクロは「敵なし」状態でした。

 

style.nikkei.com

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ユニクロのすごみは、その高品質を異国の地でいち早く成し遂げたことです。そして次から次へと高級商材や機能衣料を手掛け、廉価な商品に生まれ変わらせました。宣伝センスも抜群、海外展開もどんどん挑戦していきました。 話をフリースに戻すと、そのブーム期にあって、他社もフリースを投入してきたのですが、これをまったく寄せ付けず、根こそぎ奪い取りました。出店数も一気に加速させ、ピーク時には一年で86店舗を実現しました。販売数では、1999年に850万枚、2000年には2600万枚。売れるものを、売れるときに、売れるだけ売る。ユニクロのすざましさを示しています。

 

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本書より:ユニクロの業績(フリースのヒット前後)

 

ファーストリテイリングについて | FAST RETAILING CO., LTD.

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では、フリースブームが過ぎた後はどうしたのか。ここにはまったのが「ヒートテック」です。2003年から発売し、2011年には年間1億枚を達成しました。こうやって書くと、二大ヒット商品にめぐまれただけのようにも見えますが、念の為に、ユニクロ失敗の事業も書き出しておきます。

 

1997年、多様業態「ファミクロ」「スポクロ」を出店しましたが撤退。

2001年、英国出店もしたが結局。撤退。

2002年、野菜販売、これも失敗。

2004年、低価格路線を見直そうとしたが、失敗。

2005年、米国も撤退。

その他、買収した会社の再建にも失敗しています。まさに柳井氏みずからの著書にある通り、『一勝九敗』だったのかもしれません。しかし、柳井氏のすごみは、失敗からの修正を果たし、大成功を収めていることです。アパレル特化の方針は、野菜の失敗から学んだものらしいです。価格帯の方針では、ジーユーを出し、低価戦略を一層推進しました。さらにグローバルでのアパレル超大手との決戦にあたっては、ユニクロをインナーに強い機能衣料ブランドとして強化しました。その商材のひとつがヒーテックだったのです。

 

 

mendy.jp

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ユニクロ価格戦略については「手加減」なしです。ほんのわずかな余地も他社に残さず、すべてをみずから刈り取る気迫が伝わってきます。これは柳井氏ならではです。彼の多くの後継者が、結局、柳井氏についていけなかったのは、ここの冷徹さではないでしょうか。そもそもユニクロユニクロ足らしめた最大の勝負は、「SPA」体制を確立させたことにあります。メーカーであり、小売も手掛けるという垂直構造です。あのアップルですら、すべての販路をアップルストアだけに頼るわけにはいきませんが、ユニクロはそれを90年代から手掛けているのです。これは、開発力、仕入力、販売力、ブランド力の四つがともなっていなければ成り立たないほどの、高度なビジネスモデルでした。 まさに、理想の姿です。

 

2010年、ユニクロの柳井氏が掲げた目標は、2020年の売上5兆円でした。今が2兆円なので、おそらく届かないでしょう。柳井氏の場合、大風呂敷を広げて、結果的に未達に終わることが多い。それでも彼の偉大さは、十分称賛されうる成長をし続けていることです。彼にとっては必ずしも「大風呂敷」ではなかったかもしれません。一店舗年間平均10億円(店舗の大型化を進めている)、5000店にすれば5兆円達成します。単純計算で、日本1000店、中国1500店。空きだらけの米国と欧州は各1000店。その他は、旗艦店クラスをベースに、500店。決して、無謀な数字ではありません。

 

今日、ふたを開けてみたら、欧米での苦戦は思ったより深刻だったようです。ただし、店舗あたりの売上上昇は、大型店に入れ替えていくとう策が功を奏しました。中国は、日中関係が色々あったにも関わらず、順調な成長を収めました。開発商品は着実な改良も含めて、大きな前進を遂げています。徐々に欧米を狙える商品がそろいつつあるようです。また、目立たないことですが、生産拠点を中国よりさらに割安なところへ移転させる試みにも成功しているみたいです。ユニクロの成長の原動力は、世界の競合(ZARAH&M、GAPという御三家)が圧倒的な強さを誇っていること。これもあって、柳井氏はまったく手を緩めません。超攻撃的経営が見据えているのは世界一しかないようです。

 

 

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