巨大都市「東京」は、鉄道インフラによって成長を続ける

地図で解明!  東京の鉄道発達史 (単行本)

地図で解明! 東京の鉄道発達史 (単行本)

 

 

鉄道貨物の輸送量は1970年をピーク(624億トンキロ)に減少。今では、国内貨物輸送の鉄道シェアは数%となり、それに取って代わったのが、「東京都圏」人口拡大の受け皿となった旅客輸送です。武蔵野線は府中本町から西船橋の72kmを結び、多くの私鉄と接続しました。同じく東京外環状線を構成するはずだった路線は、りんかい線となって、大井町経由の大崎接続という区間を新設して現在のカタチになっています。そのりんかい線埼京線とつながっているわけですが、これもまたかつての貨物線ルートを活用したものです。戦後の鉄道貨物が「想定外の斜陽化」したのに対して、東京都圏の「想定外の人口増加」へと見事なシフトを果たした、結果的に大成功でした。官民が比較的うまく連携している世界の先進事例と言えるのかもしれません。

 

鉄道トリビア(468) JR京葉線とりんかい線、同じ貨物線計画によって作られた | マイナビニュース

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現在、りんかい線京葉線として営業している区間は、もともとひとつの貨物線「東京外環状線」として計画された。戦後の1950年代、高度経済成長時代の話だ。通勤利用者だけでなく鉄道貨物輸送も増加したことから、東京都心部の旅客列車を増やしつつ、貨物列車のルートを確保するため、貨物列車を山手線の外側に迂回させる貨物専用線が計画された。その計画ルートには現在の武蔵野線に加えて、塩浜~大井(埠頭)~新木場~蘇我~木更津間の「京葉貨物線」があった。

 

 

 

地下鉄や山手線だけではなく、東京の鉄道網を象徴しているのは、放射状に郊外まで伸びた私鉄路線です。そのうちのひとつ東武鉄道は、東京と両毛地方の中心・足利を結ぶことで発足しました。同地は明治期の有力産業・養蚕地帯だったからです。それから時代が下り、日光への観光路線が構想されました。民間ならではの大胆な決断が功を奏し、国鉄(上野~日光)より12キロも短い東武(浅草~日光)ルートが誕生します。東武日光線世界恐慌の年に全通したにも関わらず、観光客が急増し、今日のドル箱路線になりました。もうひとつの小田急鉄道は、新宿と小田原を直通させました。当初は「温泉」特急としての一本足だったようですが、戦後は、沿線開発やあらたな観光地作りにもいそしみ、今日の人気路線を実現させました。その証左のひとつが、首都圏の大手私鉄各線の中でも平均乗車距離が長い(小田急線:15.5km)ということでしょう。

 

着工30年「小田急複々線」はこうして完成した | ハフポスト

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ちなみに、日本で最初の鉄道が開通したのは1872年:新橋と横浜とを結びました。その後、馬車鉄道や人力車の普及はあったが、なかなか電車の登場には至りませんでした。都心部に電車が登場するのは1903年、いわゆる現在の都電の前身でした。東京はむしろ鉄道においてはやや後発だったのです。たとえば大阪と堺を結んだ阪堺鉄道は、1885年にスタートし、難波~住吉間で複線化したのが1892年、さらに1898年には南海鉄道がこれを統合しました。この頃、東京では人力車が4万台を越え、ピークを迎えていたようです。

 

1918年、田園都市会社が設立されました。時は、第一次世界大戦が終わり、日本の工業生産力が飛躍的に伸びた時代です。工場が各地に建てられ、勤め人の人口が増えました。そうなると、環境に恵まれた郊外に住み、工場には通うという需要が生まれます。これが田園都市構想の生まれた理由でした。この会社を設立したのが実業家・渋沢栄一、日本資本主義の父と称賛される人物です。宅地開発と鉄道延伸が同時に進められ、東京郊外の人口は急速に伸びました。皮肉な結果ではありますが、関東大震災を経て、この流れがさらに加速されていきます。中でも東急は、学校誘致を熱心に行い、数々の学園都市が誕生しました。

 

東京都市交通史〜半径一時間の世界(完結) | 東京史楽

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東京の鉄道網を格段に便利にしているのは、「相互乗り入れ」という仕組みです。都心を目指す各私鉄の目標にもなりました。たとえば、押上駅をターミナルとしていた京成。結果的には日暮里、そして上野へと延伸できたのですが、その認可を得るまでに相当苦労しました。西武も早稲田を目指しましたが、なかなか国鉄との折り合いがつかず、中途半端に西武新宿駅へと曲げられてしまいました。こんなことから相互乗り入れが検討され、京成と都営地下鉄との間で実現したのが直通運転です(1959年)。その後、東武日比谷線に、京急が都営浅草線になどなど、東京では10の相互乗り入れが実現(2017年末時点)しているようです。

 

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本稿の書籍巻頭では、東京鉄道の変遷図が、1914年から2016年まで5枚分示されています。地下鉄を含まない郊外路線図ですが、上野・新宿・新橋を起点に建設された鉄道網が、東京駅の建設とともに東に広がり、やがて東急や西武によって西側にはたくさんの街も造られていく様がよく分かります。特に、民間勢力(私鉄)との競争や融合で生まれた街が、今日の渋谷・新宿・池袋です。鉄道誕生から150年になろうとしていますが、鉄道都市・東京は、いまだになお、開発が進められ、その原動力がやはり鉄道駅だということに、ある種の感慨を覚えます。