ナチスの進撃を支えた経済政策と、その綻び

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)

ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興 (祥伝社新書151)

 

 

ヒトラーナチスの経済政策の象徴である「アウトバーン」。大量の公債を発行して建設された速度無制限の高速道路です。金の保有量がないナチス政府が成し遂げた大事業です。ヒトラーが政権を握ったのは、世界不況の煽りをもろに受けた1933年のことでした。当時の600万人の失業問題は、わずか5年ほどでナチス政府によって解消されることになります。アメリカが完全に立ち直ったのは1941年、世界恐慌から10年以上の月日が流れ、戦争の力も一部借りていました。それと比べても驚きのスピードです。では、ヒトラーは何をやったのでしょうか。主には次の四点です。

  1. 大規模な公共事業、
  2. 価格統制でインフレ抑制、
  3. 農民・中小手工業者の救済、
  4. ユダヤ人や戦争利得者からの利益分配。

 

 

膨大な財政出勤とは、政治家がよくやる人気取り政策です。ヒトラーナチスはまさにこれた大規模にやりました。この資金捻出を図った人物は非常に傑出しています。近代の「錬金術師」シャハト博士です。同氏はドイツのハイパーインフレを抑えた専門家であり、インフレにならない程度の最大金額を、国債にて調達しようとしました。それが16億マルクでした。結果は大成功。シャフト博士の真骨頂は、「金」がない中であらゆるものを担保に信用を創造し続けたこと。対外的には、ドイツの破産を公言して他国を脅し、債務の支払条件の緩和を勝ち取りました。そこにはイデオロギーではなく、現実に対応する巧みな柔軟性がありました。後に、ナチス首脳から煙たがられ、対立を深めるまでは、シャハトが経済・財政・金融・為替政策の陣頭指揮を取ったと言います。

 

ドイツのハイパーインフレを収束させた財政の魔術師ヒャルマル・シャハト

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また、ナチスの公共事業支出は、労働者の所得になる比率が非常に高く(建設費の46%)、経済効果は絶大でした。さらに、戦後の荒廃したドイツにとって、インフラ整備に着手した波及効果はあらゆる産業に広がっていきました。そこに輪をかけて、独裁的政権・ナチスの宣伝上手もプラスに働き、景気の「気」は徐々に上向いていきます。そんな、ヒトラー大衆迎合ぶりは徹底したものでした。 家庭を有する中年男性を優先雇用、中小企業のつなぎ融資は徹底支援、価格暴落を防ぐための農産物価格統制。極めつけはオリンピックの主催をタイミングをよく担い(実は、前政権が誘致を決めていた)、ナチスの政策を巧みに宣伝したことです。ナチスの経済政策の本質は非常に特異で、「国家社会主義」を掲げて様々な領域の管理に乗り出しながら、統制経済にまでは踏み込まなかったことです。その象徴的事例が配当制限です。具体的にはこうです。莫大な公共投資で景気が上向くと、企業業績が上がって配当を増やそうとしますが、その上限を6%に定め、それを越える分は国債を買うルールにしました。つまり、政府が投じたお金は、民間セクターを経て、国庫に戻ってくる仕組みを作ったのです。

 

5章 ナチスの躍進 - 戦争と革命の時代・ロシア革命、ドイツ革命・ナチスドイツ - CRUNCH MAGAZINE(クランチマガジン)

 

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ヒトラーは戦争遂行のためには何より民生安定を重要視した。国家の介入による雇用の改善は選挙戦でも最大の公約であった。積極的な公共投資、これも戦争含みのものが多かった。有名なものにアウトバーン(高速道路)の建設がある。雇用政策であるとともに、戦争時の大量輸送を可能にする考えが含まれていた。また、自動車・トラック産業、合成ゴムや人造石油の化学工業への積極投資もおなじような考えであった。

 

積極投資の4ヵ年計画が立てられたが、ユニークだったのは、立案・実行が官製ではなく民間大企業の専門家に任せたこと。(・・・しかし)これらの積極策のつけは、結局戦争で勝って解決するしかなかった

 

 

ナチスという政党はよく分からないところがあります。大の共産党嫌いなのに、みずからの政党名は「社会主義」と名乗ります。経済だけで考えると分かりにくいですが、政治・軍事と合わせて考えるといくらか理解できそうです。反資本家を掲げ、労働者側に立つ共産党に対し、ナチスは資本家の協力を得るために、「反共産」を強調しました。そして政権を獲ってすぐ、労働組合の解散やストライキの禁止を打ち出します。ところが、みずからの経済政策は徹頭徹尾、労働者を擁護。組合組織を政府に取り込み、企業に対しては有給休暇や社員食堂、健康診断の実施を指導しています。フォルクス・ワーゲンという大衆車を登場させたのも、ヒトラーの「国民車」政策があったからこそと言われます。では、労働者の味方である彼が、なぜそこまで共産党と距離を置いたのか。それは戦争により対外拡張を視野に入れていたからです。国民を団結させてドイツ民族の再興を図ろうとするナチスと、内向きの体制改革を目指す共産党では、政治・軍事的にまったく相容れない政敵関係でした。

 

ナチ党ヒトラー独裁政権の成立:ワイマール共和国ヒンデンブルク大統領;鳥飼行博研究室

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1933年1月30日成立のヒトラー政権の下,プロイセン首相;ヘルマン・ゲーリングは,警察権を手中に収め,国会放火事件直後,ドイツ共産党本部から国会放火計画にかかわる書類を押収し,さらに全国規模で公共施設や政治家へのテロを企てていたと発表した。(写真は)ベルリンでナチス突撃隊SAに逮捕された共産党員。

 

話を経済に戻しますが、ヒトラーとシャハトの巧みな資金調達は、ひとつのことを大前提にしていました。それはドイツの経済成長と対外拡張です。貿易を活性化するために、領土を広げて経済圏を拡大させます。経済はさらに成長し、企業はその一部で公債を買いました。また、物価を統制し、国民には貯蓄を奨励しました。つまり、インフレを避けながら、経済を加熱させ続けるこの仕組みには、戦線拡大が盛り込まれていたのです。オーストリアチェコを併合し、ポーランドに侵攻、ベルギー・オランダを蹂躙し、フランスをわずか2ヶ月で降伏させました。そしてついに、ソ連やアフリカにも進攻し、大勝利を収めました。ナチスの前半は見事な快進てでした。しかし、負け始めた瞬間、公債の返済が回らなくなりました。ロシアの冬がナチスの野望を阻んだのです

 

最後に、ナチスと言えば、ユダヤ人の迫害があります。中世・キリスト教では金貸しが禁止されていたため、お金のことは金融業を営むユダヤ人に相談するしかありませんでした。また、当のユダヤ人も、流浪の民として土地から切り離されたため、金融をシステムとして発展させてきました。銀行券、有価証券、国債などはその代表例です。第一次世界大戦前後のドイツでは、ユダヤ人の人口は1%に満たなかったのですが、金融業を足がかりに経済界に広く進出し、平均収入はドイツ人の3~4倍にもなりました。しかも、ドイツが天文学的インフレになった時、「(外貨資産を活用できる)ユダヤ人は大儲けした」という見方が流布され、ドイツの民衆から憎まれました。これに乗じたのがヒトラーナチスです。彼の個人的恨みはともかく、極端な大衆迎合とリアリズムを武器とした同党は、ユダヤ人排斥を党の方針に盛り込み、彼らの公職追放・国外退去へと動きました。しかし、国外に受け入れ先がないと見るや、ナチスが始めたのはユダヤ人虐殺です。こうしてナチスは、踏み出してはならないことまで、狂ったようにやりだしました。

 

後世の後知恵と言われるかもしれませんが、「狂った」施策は、ナチスみずからの歪んだ思想体系から派生したものだと思います。対処療法的な大衆迎合式の問題解決は、時として恐ろしい結果を招くのだと肝に命じておきたいものです。