新宿駅の巨大さはどのように作られたのか

新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか (SB新書)

新宿駅はなぜ1日364万人をさばけるのか (SB新書)

 

 

新宿駅はギネス世界一にも登録されている「the Busiest station」です。まぁ、おそらくはまだ申請されていない巨大駅があると思いますが、その数を正確にとらえることができる世界最大の鉄道駅です。その数は一日で平均乗降客数364万人(2011年登録)。ところで、新宿と名の着く駅が、このJR新宿駅付近にいくつあるかご存知でしょうか。丸の内線で三駅、都営大江戸線で四駅、西武線小田急線がそれぞれ一駅。なんと全部で十駅もあるのです(同名の駅はカウントしません)。

 

 

西武新宿駅はなぜ遠いのか 幻の東口乗り入れ計画|エンタメ!|NIKKEI STYLE

地図には、下記四駅が含まれていません。

 

日本一のターミナル、新宿駅。JRや私鉄、地下鉄が集結するこの駅(「新宿駅」)で、ひときわ離れているのが西武新宿駅だ。なぜ、一路線だけ離れているのか。調べてみると、過去に何度か乗り入れ計画があったことがわかった。つまり、西武新宿駅はひとまず仮駅として設置し、駅前整備を待って国鉄新宿駅まで延長する計画だったという。

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「大新宿駅」と呼ばれる時、一日の乗降客数は約390万人に達します。ギネスの登録数より大きな数ですが、そこには「新宿駅」に加え、上記四駅が含まれます。ちなみに、ギネス登録の「新宿駅」とは、JR・京王・小田急・丸の内・都営新宿・都営大江戸線の六つを指し、ここに「新線新宿駅」と「西武新宿駅」の二駅がカウントされています。まとめますが、同名重複を気にせずに数えるなら、「新宿駅」は八駅(=6+2)、「大新宿駅」は十二駅、「新宿と名のつく駅」は十五駅(都庁前駅は含まれません)。こんな新宿駅が開業したのは130年前、時代は富国強兵にまっしぐらだった明治期(1885年)にまで遡ります。当時はまだ、前橋からの生糸を横浜に運ぶための通過点にすぎませんでした。

 

新宿の発展を決定的にしたのは、1960年代から始まった西口・副都心の開発でした。1966年の一日乗降客数が186万人だったことから、この50年弱で倍の規模になりました。しかしそうは言っても、すでに日本を代表するハブ駅となっていた新宿駅は、もともと宿場でした。江戸城から伸びた街道が、新宿にて青梅街道と甲州街道に分かれていたのです。その宿場は、「内藤宿場」と呼ばれ、現在の東口・新宿御苑に当たります。宿場と宿場との間は約二里(今日の8km)、移動する人間の休憩場として機能し、後には遊興の場と化していきました。端的に言えば、売春宿のことです。後にこれが移転を繰り返しながら、新宿遊郭そして歌舞伎町風俗街へと変遷していきます。

 

BCG 新宿歴史博物館

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日本橋を起点とした甲州街道の最初の宿場です。当初は高井戸が最初の宿場でしたが、日本橋から四里(15km)と遠いため、日本橋から二里のこの場所に宿場集落が出来、町の一部が内藤家の屋敷地でしたので“内藤新宿”と言われました。この模型は町全体を表したものではなく、江戸寄りの四谷大木戸、ほぼ中央に位置する高札場、問屋場付近、甲州街道と青梅街道の分岐点である追分周辺の三つの地点が作られています。 

 

話を西口に戻そう。副都心開発の中心地・都庁の周りは、超高層ビルがきれいな「3✕3」の区画で立ち並びます。新宿三井ビル、ハイアット、新宿モノリス、都庁に囲まれた区画のことです。もともとここには淀橋浄水場があり、1898年から1965年に廃止されるまで、東京の水道の近代化を支えていました。西新宿の地は、東京の中では比較的標高が高く、平らな土地を有する点が評価されていました。さらにここは、江戸期に築かれた玉川上水が通っていましたので、水の確保が容易でもあります。

 

新宿歴史博物館 データベース 写真で見る新宿 | 淀橋浄水場 | 7227

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新宿の開発はいまだに続いています。駅南口と言えば、甲州街道を超えればそこはもう渋谷区となります。ここには、高速バス乗り場が集められ、新しい交通の結節点となることが期待されています。意外と長い歴史をもつ新宿駅に、またあらたに人を集めるハブ化施策と言えるのかもしれません。乗降客数はすでにピークを越えたとも言われますが、商業施設の魅力があらたに高まるのであれば、新宿はいまだ発展途上なのかもしれません。

 

 

新宿南口、線路上に巨大ターミナル 「大新宿駅」が実現|エンタメ!|NIKKEI STYLE

南口に面した甲州街道は橋の上を走っている。この橋が架けられたのはなんと1925年(大正14年)。80年以上も前だ。その後何度か拡幅工事を行い、現在の姿となった。当時南口では、「橋の老朽化」「狭い歩道」「タクシーやトラック、一般車の停車による渋滞とそれがもたらす交通事故」「点在する路線バスの停留所」などが騒がれ始めていました。これらを一気に解決するアイデアが(南口再開発での)交通結節点の新設でした。

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