「金本位制」がなぜ元凶なのか、敗戦の悲劇を繰り返さないためにも理解しよう

経済で読み解く大東亜戦争

経済で読み解く大東亜戦争

 

 

上念氏の著書第三弾は大東亜戦争。いわゆる、なぜ日本は第二次世界大戦を仕掛ける側に回ってしまい、愚かな結果を招いてしまったのか。それを戦前の不況から読み解くという著書です。そもそも国民国家が戦争に陥ってしまうのはどういう時でしょうか。一つ目は、戦争によって経済効果を期待してしまうこと。二つ目は、本土が戦場にならないと信じられること。三つ目は、戦争に動員できる労働力が余っていること。四つ目は、戦争の資金源;国債発行・増税・通貨増刷・政府経費削減の中で「通貨増刷」が機能したこと。それには前提条件があって、デフレ状態にあること。逆に言えば、これらのいずれにも当てはまらない場合、戦争は解決手段として選ばれないのです。

 

戦前の経済状況を見ていくと、二度の世界大戦をもたらした誘引として、「金本位制」というシステムの欠陥に気付かされます。信仰とも言うべき、この制度は、通貨を発行する各国政府への「信用」を補填する重しとして導入されていました。

 

マンガでわかる経済入門 | man@bowまなぼう

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本書では徹頭徹尾、「金本位制」が批判されていますが、なぜこの制度が確立されたかについても触れてあります。これは当時の状況が背景にあります。ゴールドラッシュ、すなわち1840年代、アメリカ西部とオーストラリアで多くの金山が発見されました。年生産量は数倍に膨らみ、イギリスが「金本位制」を採用しました。世界中に植民地を有するこの島国は、銀行を通じてポンド決済を行います。金にリンクされた通貨は為替レートが安定したため、効率的な取引ができるようになりました。各国がポンド決済に参加し、金の所有者は随時入れ替わりました。何しろ、取引のたびに金塊を動かす必要がなくなったのですから、効率が著しく改善しました。日本がこの秩序に参加しようとする頃には、もはや「金本位制」を採用しない理由がなかったのです。こうして、金の産出量に制約される世界経済の仕組みが出来上がりました。

 

 

金本位制の仕組み 帝国書院「図説日本史通覧」P265】

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その後、一時停滞した金の生産も、1890年代には、南アフリカの巨大金山が発見され、復調します。20年続いてきた経済の低迷(デフレ状況)が終焉し、景気が好転しました。金の産出が落ち込めば、世界経済は制約を受け、社会不安が広がります。当時は賃金カットや解雇が自由にできたので、労働者は一方的に苦しめられました。マルクスの論が注目を浴びたのも、このようなデフレがあったからです。幸い、金が増えて景気は持ち直します。共産主義の亡霊は、西側の国々に広がらずにすみました。こうして資本主義は、金本位制のもと再びグローバル化と平和の恩恵に授かるかに思えました。しかし、その夢を打ち砕くのが、アメリカで発生したサンフランシスコ地震1906年)でした。

 

【サンフランシスコ大地震1906年)】

1906 San Francisco earthquake: Old photos offer new glimpses of devastation - SFChronicle.com

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なぜ、地震金本位制とが関係するのか。実は当時、地震によって、イギリスは多額の保険金支払を迫られました。イギリスにとってはまさに想定外な出来事であり、金の流出を防がなければなりませんでした。そのための緊急措置が金利の引き上げです。これは株式市場に下げ要因のして反映され、1907年に暴落、さらに実体経済にも波及し、世界各国が大きなダメージを受けました。それは日本も同じです。日露戦争に勝利したその直後の不況は、この世界的なシステム不況の影響でした。朝鮮半島を併合し、大陸進出を果たした日本は巨額な投資を必要としていましたが、海外からその資金が調達できません。やむを得ず、日本国内の財政を引き締めました。これは、金本位制の弱点が露呈した象徴的な事件でした。

 

さて、これがその後の第一次世界大戦とどう関係するのでしょうか。民族対立から「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン半島では、恐慌による外需の消滅と出稼ぎの仕送り減が深刻さを増していました。産業革命を進めきれない政府(オーストリア=ハンガリー帝国)と、経済的な苦境、そして民族間の不信や対立が激化し、あの暗殺事件が起こったのです。いつの時代でも戦争のきっかけは様々ですが、その背後にはたいてい経済的要因が存在します。デフレの混沌、目の前の閉塞感、短絡的な犯人探し、こうしたことが憎しみを駆り立て、戦争へと人々を誘います。幸い、日本は、第一次世界大戦を冷静に対処しましたが、同様のことは、大東亜戦争にて再現されてしまいます。それが本書の最大テーマです。

 

gendai.ismedia.jp

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日本が太平洋戦争(大東亜戦争)に投じた資金は、約7600億円。当時のGDPの33倍(国家予算の280倍)だったそうです。国民すべての富を戦争に投じたとしてもまかないきれない金額です。他方、米国は、戦費総額約3000億ドル、GDP比の3.2倍にすぎないのだとか。日本とドイツ、両方を相手にしながら、十分返済可能な金額内で終わらせたことに驚きを隠せません。この両者の実力差は戦前から推測されていたことでした。しかし、日本はなぜ戦争へと突き進んだのか。その原因が、「金本位制」という迷信に内在されています。

 

1931年、世界恐慌後の大不況から抜け出せないままだった日本は、高橋是清蔵相のもと、金本位制を離脱しました。さらに日銀の国債引受で、市中のマネー供給を増やしました。日本はこの時、危機を脱するかに見えました。しかし、満州事変や国連脱退が起こったタイミングであり、国際的な孤立が深まった年でもあります。財政を投じる先は軍事力に偏向していきました。 こうなると、国民が必要とする物資が欠乏したまま、マネーばかりが増える、いわゆる悪性インフラをもたらすことになります。どこかで聞いたことのあるパターンです。そう、前回の記事でも書きましたが、デフレが社会を不安に陥れ、混乱を招き、そして社会にインフラを招く。デフレがもたらす生活苦と閉塞感とが人々の判断能力を鈍らせ、失業者と憎しみの存在が、戦争を望むのです。そこにひん曲がった知性が入り込み、当時の日本の歩みを正当化させようとしました。それが「大東亜戦争」という大義です。歴史のこうした正しい姿を、私たちは心に焼き付けておくべきなのです。