デフレ脱却に挑んだのは、織田信長とて同じだった

経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する

経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する

 

 

室町時代は、三代将軍・足利義満の死後(全盛期の後)、中国との国交が断絶されてしまいます。その結果、明銭が入ってこなくなりました。貨幣の供給が減り、小氷河期の天候不良が重なり、経済はデフレ基調を強めます。その立証(推測)方法は本書に譲るとして、室町時代の経済の主役は寺社勢力でした。中国で教えを学んだ僧侶がそのコネクションとともに始めたのが交易だったからです。ちなみに、一回の船が積んだ銭貨は、当時のGDPの10%以上だったそうです。この規模のマネタリーベースの増え方は、実は、今日の日銀・黒田総裁がぶっ放す「黒田バズーカ」と同じ規模です。これらの銭貨が、寺社経由で世の中に供給されていました。

 

渡来銭

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デフレ基調だった室町時代では、限られたパイの奪い合いでした。それが戦国時代を招きます。そこに彗星の如く現れたのが織田信長です。ドラマでは、何やら革命家のように描かれたりしますが、実際には、学習能力の高い中小企業経営者風だったようです(彼が死ぬ三年前あたりで、ようやく大企業のような仕組みが備わり始めたそうです)。では、彼が革命児と言われる経済的制度的成果について振り返ってみましょう。たとえば、信長の代表作とされる「楽市楽座」などは、すでにあった仕組みをそのまま踏襲したものだったそうです。彼が最初ではありません。また、撰銭令の政策ミスがあったりもして、貨幣の流通を高めるのとは反対のことをやっていたらしい。さらに、堺の自治都市を経済成長のために組み込んだのではなく、脅しをかけて軍事的に利用したにすぎません。つまり、今日的に評価されている信長の功績とは、かなりのところ、誇大評価にすぎなかったみたいです。

 

ところが、全体として見ると、信長改革は経済の基盤を強くしました。頻繁に居城を移し、城下町を造り、個々の市場を楽市にて活性化しました。特に、道路を整備し、関所を廃したことで、物流が活発になったのは評価されていいでしょう。また何より、一部の寺社を叩き、経済の主導権を(結果的に)奪うことになりました。これによって経済活動が初めて、地域一帯の「面」になったようです。信長の時代には間に合わなかったことですが、その後の秀吉・家康の時代に、インフラ整備が全国へと拡張していき、そこにはあの関東平野も加わって、江戸時代初期の高度成長につながっていきます。

 

 

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もう一点。室町デフレから戦国時代をはさんで高度成長へとつながる過程で、大きな役割を果たしたものがあります。石見銀山です。世界史にも大きな影響を与えたここの銀は、海外へと多数流出しました。その一部は銅銭と入れ替わり、日本のデフレ脱却に大きく貢献したはずです。黄金の国ジパングはこの頃から、銀の国へと変わりました。

 

 

信長が戦った最大の敵は、戦国時代の「デフレ経済」だった!

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2014年7月、ひもで通し、つぼに納められたままの状態で見つかった4万枚の銅銭。唐の「開元通宝」や宋銭、明の「永楽通宝」など約50種類。

 

この写真は「備蓄銭」、すなわち今日風に言えば、タンス預金でした。デフレ基調が社会の趨勢だったため、庶民はお金を貯め込み、お金の価値がより上る(=デフレ)のを待っていたのでしよう。しかし、みんながこんなことをしてしまうと、ますますマネー供給量が下がってしまい、モノの流通にも支障が出てしまいました。これが、室町~戦国時代を長引かせる要因になりました。

 

室町時代のデフレ志向的な経済は、やがて戦国期の幕開けである応仁の乱の背景にもなっている。しばしばインフレが加速すると社会的な不安から荒廃した経済・社会体制を生むと誤解されている(ナチス経済などはその一例)。だが、実際には長期化したデフレ経済の方がよほど社会を荒れたものにするのである。(中略)さらに、デフレ経済は既得権階級を維持し繁栄させてしまう。デフレでは経済の活発化が損なわれてしまうので、新陳代謝がまず損なわれる。

 

「デフレは悪」、ようやくその認識が社会に定着してきました。経済の活性化を図るのに、デフレは百害あって一利もありません。織田信長の登場が、まさにデフレ、いや貨幣環境を大きく変える契機になりました。寺社の利権を取り上げ、経済にプラスになるインフラを整備し、社会の経済取引が活発化すろような施策を出しました。本書はそれを見事に描いていますが、そのメインは、室町時代以前の、デフレ社会の実態がいかに構造的なものだったかを描くことでした。本のタイトルこそ(その売上のために)織田信長と書かざるをなかったのでしょうが、信長は結果的に、デフレに終止符を打っただけのことです。彼の業績の大半は「中途半端に終わっています。むしろ彼の偉業は、お金と寺社を切り離し、経済社会の革命を準備させた点かもしれません。