地層的な研究対象の宝庫、それが日本列島

 

あまり知られていませんが、日本書紀には地震の記録があります。西暦684年11月29日、土佐では田畑12平方キロメートルが海中に没し、津波が到来していたそうです。これは、いわゆる南海トラフ巨大地震の最初の記録と言えます。

 

【 地震大国・日本 】日本最古の地震の記録から見る地震の日本史 | 歴人マガジン

https://rekijin.com/wp-content/uploads/2016/07/Nihonshoki_jindai_kan_pages.jpg

 

M8.25クラスの巨大地震だった「白鳳地震」と命名され、高知大学の調査チームが高知県土佐市にM9クラスの超大型津波の痕跡を発見しています。それから5年後の689年には、M8.3の「貞観地震」という古代最高規模の巨大地震も発生しています。溺死者だけで1000名を越えるという恐ろしい天災です。

 

 

五つの大地震

http://www.geocities.jp/kyoketu/nankaimap.jpg

 

 

地震地殻変動は、海洋側のプレートがゆっくりと沈降していき、その歪みの限界に達した時、プレート間の巨大逆断層が一気にずれて大地震を発生させます。この時、陸地側プレートは急激に隆起します。長期的な観察によれば、沈降量より隆起量の方が多くなるらしく、沿岸地域は隆起を続けているそうです。

 

もうひとつ、日本列島の成り立ちに大きな影響を与えたのは、海水面です。地質年代で260万年前から今日まで続く時代を「第四紀」と呼びますが、これは化石の発見などから人類と関連深い時代区分とされています。一般的には世界的な寒冷化の時期となります。とは言え、学問は常に進化していますので、当初はあった「第一紀」「第二紀」が細分化(「始生代」「原生代」「古生代」「中生代」)され消失したのと同様、この時代区分もいつ再定義されてしまうか分かりませんね。概ね、この時代の重要なことは、氷床の成長とともに、海水面が下がり、日本列島の海底部分だった場所が陸地になったことでしょう。

 

地質時代

http://finding-geo.info/basic/UbR0Rld3wXk3_rev_S.png

 

10万年でひと呼吸 地球の温暖化と寒冷化 | JAMSTEC×Splatoon 2『Jamsteeec(ジャムステ〜ック)』

https://www.jamstec.go.jp/sp2/column/03/img/img2.png

 

寒冷化と言っても、その間実際には、寒くなったり暖かくなったりします。つまり「氷期」「間氷期」が繰り返し訪れるのだそうです。その氷期が最盛期を過ぎ、温暖化(間氷期)へと方向転換したのが、1万年前。日本では縄文時代に入った頃で急激な「海進」が起こり、海面が上昇(=陸地が海の進入を受け)、今日の日本列島が形成されています。津軽海峡朝鮮海峡などに海が進入したのもまさにこの時期でした。

 

 人類が進化してきたここ100万年間は、氷期間氷期が交互に約10万年の周期で交代する「氷期-間氷期サイクル」であり、氷床量の変動は海水準変動(海面の高低変化)に換算して130mにも及ぶものであった。この大変動の根本要因は、「ミランコビッチ理論」により夏の日射変動であると考えられている。実際、古気候データの統計学的解析からは、自転軸の傾きや北半球の夏における太陽と地球の距離といった、夏の日射量を決定する各要素の変動周期が氷期-間氷期サイクルと、密接に関わっていることが示されてきた。しかし、肝心の気候変動メカニズムの実体は謎だった。そこで、日本の東京大学大気海洋研究所(AORI)や海洋研究開発機構などが、「日射変化に対して気候システムが応答し、大気-氷床-地殻の相互作用によりもたらされた」ことを証明した。(2013年8月)

 

 

奥東京湾と貝塚の分布

http://www.ranhaku.com/web04/c2/2_01map.jpg

 

 

日本で発見される貝塚は意外と内陸に分布しています。貝塚とは海産物のゴミが多かった場所、それなのになぜ、海から遠い場所なのでしょうか。これが、日本における海岸線の変化を示しています。約6000年前の関東では、「縄文海進」によって、海水が関東平野の中央部まで入り込んでいました。逆に言えば、貝塚の分布が当時の海岸線を示しているとも言えるのです。その日本最大の平野は、中央部が沈降し、周辺部が隆起する「関東造盆地運動」の地殻変動によって成り立っています。そこに向けて川が流れ込み、分厚い層を堆積させたと考えられています。その中央部は、東京湾北部から茨城県古河にまで及ぶ広範な地域です。堆積の証左としては、たとえば埼玉県行田市の地中深くに、5~7世紀頃成立したとされる古墳が見つかっています。これは洪水などでわずか数百年の間に埋まってしまったものです。他方、川の流れを見ても分かります。房総半島の河川の多くは北西すなわち東京湾に向かって流れていきます。太平か側へ流れるのはわずかです。水は低い方に向かって流れるので、関東平野に向かったのです。

 

では、この巨大な沈降部・関東平野はなぜできたのでしょうか。実はこれが、伊豆半島と関係しています。「伊豆バー」とも呼ばれる地殻は、フィリピン海プレートの最東端でもあります。それが日本本州のプレートと激しくぶつかり、その境目を盛り上げています。ここが隆起すると、その奥が沈降するという関係になります。プレート同士の激突という巨大なエネルギーが富士山ばかりか、関東平野も形成させたということです。

 

 

富士山はどうして、こんなに高いの?|ライフコラム|NIKKEI STYLE

https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2Fcontent%2Fpic%2F20160113%2F96958A99889DEBE7EAEBEBEAEBE2E2EAE2E3E0E2E3E485E2E4E2E2E2-DSXKZO9590027008012016W12017-PN1-3.jpg?auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&ixlib=php-1.1.0&w=630&s=7026b92e9376690f7a7f295e164dc941

 

 

最後に、日本人としては富士山にも触れないわけにはいきません。なぜ富士山は美しいのか。その成り立ちには科学的な理由があります。あの、均衡のとれた円錐形の独立峰である富士山は、山裾の斜面に谷がなく、非常に美しい姿です。高さは日本一、裾野の面積も日本一(沖縄本島とほぼ同じ面積)です。今の富士山(新富士)が出来上がったのはおおよそ10万年前です。古富士とは異なるマグマ(高温で粘り気がない)が流出し、あの滑らかな表面を形成したのだそうです。

 

そして何より、富士山が独立峰たる所以ですが、通常、プレートが沈み込んでいる(富士山の直下)すぐ傍でマグマが噴出することはありません。しかしフィリピン海プレートは、この位置で他の二つのプレートと接しているため、二つに割けてしまい、その隙間からマグマが上ってきたという説が有力です。プレートの沈み込み位置はそもそも標高が低く、周囲に山はありませんでした。そこにマグマが噴出し、火山ができたため、独立峰を形成したというわけです。この富士山ひとつを取っても、地層の研究対象としては魅力的であることが分かりますね。