首都圏の主要路線に見る、東京の拡張性(後編)

 

前編最後にも触れましたが、東急線のブランド戦略は突出しています。関西の沿線開発で生まれたビジネスモデル(阪急・小林一三)。これを、あの渋沢栄一がバックに立った五島慶太が首都圏に導入しました。そして次々と鉄道企業を買収し、終戦間際には「大東急」という大勢力を築くに至りました。戦後「大東急」は解体されましたが、これに対抗しよとしたのが、不動産業者の鉄道参入でした。それが堤一家の率いた西武グループです。田園都市に習った沿線開発の乗り出し、しかも箱根での小田急との激突は、箱根山戦争と呼ばれる激しいものでした。

 

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日本が経済成長からバブルに向かうなか、堤兄弟それぞれの企業グループは目覚ましい発展を遂げる。清二氏の西武百貨店など流通部門は、70年に義明氏がトップとなった西武グループ本体から独立。ファッション専門店を集めた「パルコ」は新しい消費文化を創出し、ホテル、不動産開発など100社以上を傘下に持つセゾングループに成長していく。

 

 

しかし、西武グループの凋落は、バブル崩壊とともに始まりました。沿線開発よりもリゾート開発に肩入れしすぎたことが裏目に出ました。しかも堤義明氏は、有価証券報告書への虚偽記載で逮捕されました(2005年)。 

 

ライバル対決は、首都圏の鉄道ではたくさんあります。その代表事例が、最強・JR中央線に挑む京王線の奮闘ぶりです。中央線は、吉祥寺・中野・高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪と、いずれも人気街になっています。何よりも、東京駅と新宿駅を結ぶ大動脈であることが最大の強みです。さらに東京西部の中心・立川や八王子へと続きます。運賃収入が群を抜き、巨大な利用者数も減る気配を見せていません。ここと衝突する京王線は存在感が薄い。それでも、日本有数の過密ダイヤを運行し、安い運賃設定で、一定の競争力をキープしています。また、高尾山を、世界一の登山者数にまで引き上げた努力も見逃せないでしょう。

 

 

鉄道ビジネスの今、大手私鉄の動向を見る | SPEEDA

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さて、話を沿線開発に戻しますが、私鉄はそもそも運賃収入が高くありません。民間の行動力というのも一つでしょうし、開発を目的にレールを敷いたという側面もあるでしょう。そう言えば、直近で注目されているのは、東武線です。スカイツリーをあらたな観光資源とし、業平橋・押上地区の再開発に乗り出しています。東武の強みは、日光と鬼怒川温泉を独占していること、そして東上鉄道を買収して以降、池袋から川越間を見事開発したことです。 東武東上線自体は、本書で「負け組」に分類されていますが、実際にはまだまだ開発の余地があり、ブランド化失敗続きの汚名返上をいつ成し遂げられるか次第となるでしょう。

 

本書の指標について触れておきましょう。そのひとつに「平均通過人員」という指標があります。「この数値は旅客人キロを年間の営業キロで除して求められ、ある路線の1km当たりの利用者数を示す指標」、すなわち旅客輸送密度を指し、長いレールを敷いたとして、どれだけ利用されているかを示しています。実はこの指標は、地方路線の廃止を決める際にも参照されています。のべ何人の客が利用したかを指すものですが、単位キロ辺りで単位をそろえています。通常は1日辺りで比較するようです。

 

最後に、その指標で堂々の第一位を記録した埼京線に触れましょう。同線はかつて赤羽駅から東海道本線への迂回ルートとして計画された(明治時代)ものでしたが、結果的に池袋と赤羽間だけに開通した孤高の路線でした。それが東北新幹線の建設にともなって、通勤路線への改変につながります。現在の埼京線はその経緯があって誕生し、その7割を都心部にて走るようになりました。営業キロ数は短め(37km)ですが、りんかい線ともつながり、ついには海へと直に到達するルートになったのです。海と言えば、湘南新宿ラインも同様です。こうして埼玉県が、都心部へのベットタウンとして機能するようになり、その沿線は今日、保育園完備の新しい街づくりを目指しているそうです。

 

 

鉄道ファンでないのに、首都圏路線を調べようと思ったのは、東京都市圏の発展が、まさに都市づくりの歴史と重なっているからです。いまだに拡張を続けるこの都市が、鉄道の街と称せられ、今なお輝きを放っているのは、国家的な都市計画と、私鉄民間各社のたくましい努力がうまく組み合わさった結果だと痛感させられました。