首都高速道路の多くの謎をひも解くと・・・
高速道路とはおそらく、私も含めて、都市間を結ぶ高速道路のことをイメージするのですが、日本で最初に開通したのは東京だけを通る高速道路でした。つまり、首都高速道路(の前身・東京高速道路KK線)です。KK線とは、京橋JCT~汐留JCT間を走る約2kmの高架道路です。銀座や有楽町で顔を上げて見える道路がそれです。意外にもこの区間は「無料」です。前後には一応、料金所(乗継所)がありました。
首都高速ではない首都高速? 無料で走れるKK線が生まれた理由 | ダ・ヴィンチニュース
首都高速全体は、東京の自動車保有台数が急増するにあたって、都市内交通を確保するために戦前から計画されていたものです。その後、一部の区間(羽田空港とオリンピック会場を結ぶ)は優先的に整備されました。首都高の総延長は300kmを越え、一都三県にまたがります。環状線1本と放射線8本で構成され、今日から見れば半分以上が30年を越えるくらいになっています。
首都高の整備は三段階まできており、第一段階は、オリンピックを視野に入れた空港とのつながりを重視しました。その後、都市間高速道路とともに整備され、東名高速・中央道・東北道・常磐道・京葉道路・東関東道の6つに接続しました。また、外環道経由では、関越道にも連絡しています。第三段階になると、中央環状線や湾岸線の整備が進められました。目指す姿は「3環状9放射」です。3環状とは、都心環状線の外側に、中央環状線と外環道さらに圏央道の3つを整備すること。これはとりわけ重要で、東京を通過しながら東京都心部に入るのを避けるバイパスの役割を果たせます。また、3環状もあれば、郊外から都心に来るルートも多様になり、渋滞緩和につながります。さらに言えば、事故や災害時の迂回路にもなるというわけです。
しかし、工事はなかなか進みません。特に、外環道は、建設中の東西区間ともに人口密集地帯を走ります。用地確保と近隣住民との話し合いに費やした膨大した時間は半世紀に及びます。その間、お隣の中国では、どんどん環状道路網が作られていきました。ニュースではよく西側区間が取り上げられますが、今年開通する東側区間(千葉)も大変な作業だったと思います。この間にも様々な技術革新が行われ、トンネル施工や遮音技術なども新しいものが導入されてきました。
こうした長期計画の中には、すでに断念されたものもあります。たとえば、丸の内と新宿をわずか8分で結ぶ「弾丸道路」構想。実現していれば、ちょうど、鉄道で言う山手線に対する中央線のような役割になったのかもしれません。丸の内から西新宿までの約8キロを結び、出入口を霞が関のみに限定し、乗用車のみを新宿まで通した小型地下道路として考えられていました。この構想はバブル期に練られたもので、一気に青梅までつなぐことも視野に入っていたそうです。時代を反映した壮大なものですね。実は、新宿向けとは反対側の、晴海に向かっての道路(晴海線)はすでに実現しています。つまり、計画は決して夢物語ではありませんでした。この当時の構想の痕跡は意外な場所にも残されています。たとえば、岩本町の「イカの目」。首都高の大橋ジャンクションを上から撮影すればはっきりと見てとれます。これは、かつての後から他の路線を接続するために準備された道路になる予定だったのです。
「丸の内-新宿8分」の構想も 首都高、幻の路線計画|エンタメ!|NIKKEI STYLE
最後に、首都高速の基本について警鐘を鳴らしておきます。首都高とは、都心部を走る有料道路ではありますが、高速道路ではありません。一般道路と同じ速度制限があります。 首都高速には、多くの謎と、それを紐解くことで得られる日本の道路行政の変遷までがよく分かってきそうですね。