地球視点で日本の歴史を振り返ろう

「世界史」で読み解けば日本史がわかる

「世界史」で読み解けば日本史がわかる

 

 

16世紀、日本では応仁の乱(1467年~)以降の大混乱で、いわゆる戦国時代に突入していました。お家騒動から始まった人間関係の混乱が100年に渡って続く戦乱の世を招くわけですが、これはあまりにも長いと思いませんか。30年でひと世代ですが、三世代を越える無秩序の時代を、応仁の乱ひとつで説明するには無理があります。実はこの16世紀前後の時期、お隣の明朝では一時衰退が著しく、インドのチムール帝国に至っては滅亡、ヨーロッパでも中世的な封建王朝が次々と倒れている最中でした。これら既存政権の崩壊をもたらした大きな力、それはシュペーラー極小期(1420~1570年)とされています。太陽活動が著しく低下し、世界は小氷期を迎えていたのです。

 

 

世界史のなかの戦国時代 【異常気象】小氷河期が戦乱を生んだ | 文藝春秋SPECIAL - 文藝春秋WEB

http://gekkan.bunshun.jp/mwimgs/f/b/528/img_fb89c98fd58c40beba4411e51b1dea5534288.gif

 

一五世紀から一九世紀にかけての太陽活動は、全体的に低迷していたことが知られています。この四百年間の中でもさらに低迷した時期が二つ、それらは「シュペーラー極小期」と「マウンダー極小期」と呼ばれます。また同時期、大きな火山噴火が何回もあったことから、かなり頻繁に、寒冷な時期が生じていたようです。このような厳しい時代には飢餓などが頻発し、中央政府の統制力を弱めてしまいます。実際、土一揆などが多発し、既存の統治者の基盤が揺らぎました。このように、戦国時代に至った背景には、世界的な気温低下という要因が絡んでいたのです。

 

日本の戦国時代には、はるか遠くのヨーロッパから宣教師がやって来ました。大航海時代のうねりの中、その初期にはポルトガルが、そしてスペインが、さらにオランダと続き、いずれも布教と交易をワンセットにしていました。この頃のヨーロッパは、中国の四大発明を取り入れ、大きな社会変革を実現させていた頃です。それらを自らの力としながら海外を目指していました。宣教師は、純粋な布教目的ではなく、海外植民地化の先兵として、現地社会に溶け込むことを使命としていました。わずかな人数で海外を治めるには、現地に、従順な協力者・信者をもつ必要があったからです。

 

【中世ヨーロッパの大変革】

  1. 火薬。これは鉄砲となって、中世騎士を没落させました。
  2. 羅針盤。これがなければ、船による大航海時代はなかったでしょう。
  3. 紙と活版印刷。「知」の普及が協会権威を揺るがし、宗教革命の普及につながります。

 

しまねバーチャルミュージアム 石見銀山

f:id:cancheer:20180421173140p:plain

 

戦国時代の日本と、世界史との関係で言えば、銀の流出に触れないわけにはいきません。何しろお隣の中国では、交易が急速に活発になり、世界中の銀を呑み込んでいました。ヨーロッパの交易船は、生糸や木綿・茶などの中国特産品を大量に持ち帰るために新大陸の銀を持ち込んでいたのです。のちに、日本の銀がこれに取って代わり、当時世界の流通量の三分の一を日本の銀(全国では200t、石見銀山の年間平均産出量38t)が占めることになります。

 

 

三陸ジオパーク | 豊富な鉱物資源「繁栄を支えた金山と製鉄の歴史」

http://sanriku-geo.com/wp2/wp-content/uploads/2014/03/40-3-580x433.jpg

 

ついでに、「黄金の国ジパング」の由来となった日本の金山についても触れておきましょう。13世紀に東方を旅したマルコ・ポーロは、「東方見聞録」で日本をそのように紹介したと言います。当時はまだ、佐渡金山も本格稼働していません。おそらく、陸前高田市の玉山金山が、奈良時代から採掘され、奥州平泉の中尊寺金色堂などに用いられていたのを聞き及んでのことだと思われます。江戸時代には佐渡金山が、幕府によって本格的に開発され、世界有数の産出量を誇るまでになりました。最盛期の産出量は年間400kg、その後幕末までの270年間に40tも採掘されたそうです(参考:三菱マテリアル、佐渡金山の歴史)。

 

黄金の島に眠る、廃墟マニア必見の遺跡群!「佐渡金山」400年の歴史ロマン│観光・旅行ガイド - ぐるたび

https://c-gurutabi.gnst.jp/public/img/article/29/f9/art001071/article_art001071_24.jpg

 

豊富な金銀産出量に支えられた日本。江戸を中心とした東日本では「金」が、大坂(大阪)を中心とした西日本では「銀」が、主要貨幣として使われました。東に佐渡金山、西に石見銀山があったからだと言われています。それもあって18世紀には、世界的にも有数の金融制度を作り上げるまでになっていました。さらに大坂では、商品先物取引市場が発明されます。貨幣経済が完全に根付いていたのです。もちろん、江戸幕府が実現させた平和な二百年が功を奏しました。しかし、そんな江戸幕府を崩壊させたのも金融でした。きっかけは、幕末にハリス(米国)と結んだ不平等条約です。日本国内で流通していた名目レートを無視し、メキシコ銀を同量の銀貨と交換させたのです。日本の銀には、金が紐付いています。その金を海外(上海)に持ち出し、銀に換えてしまえば、ハリスは、金銀レートの国内外差を利用し、元手の銀を三倍に増やすことてできました。

 

diamond.jp

 

この結果、日本国内で起こったのは激しいインフレでした。莫大な金塊が海外に流出してしまった結果、幕府による経済統制が効かなくなってしまったのです。庶民は窮乏化し、幕府の財政も一気に弱体化します。この「イカサマ」レートが原因のすべてではありませんが、倒幕運動が加速する契機になリました。世界経済、すなわち世界史とつながったことが日本史を大きく動かしたのです。

 

冒頭書を読めば、縄文時代から今日に至るまで、日本の歴史は常に世界とつながっていたことが感じられるはずです。