化粧こそが人類を「ヒト」たらしめた?

お化粧と科学 (一億人の化学)

お化粧と科学 (一億人の化学)

 

 

 私たち日本での最初の化粧の記録は、どうやら文字のない時代にまで遡るようです。そもそも化粧とは、身体全体にわたって施すもので、色彩・光沢・香りなどが加えられました。これこそまさに、人類の「文化」の萌芽と言える行為だったのかもしれません。顔、髪、爪、入れ墨、身体変形、さらには装身具や衣服などとも相互に関連しながら行われています。あの卑弥呼で有名な『魏志倭人伝』には、日本の化粧についての風俗が記載されており、朱丹という赤色顔料の丹(硫化水銀)が使われていたそうです。また、『日本書紀』の記載から、鉛花(四三酸化鉛)の紅や香りのある油なども化粧品となっていたようです。『源氏物語』や『枕草子』の時代になると、もはや化粧は日常のひとコマになっていることが分かります。この時代では男性・女性の別なく、化粧がなされていました。

 

 

ポーラ文化研究所|新・日本のやさしい化粧文化史 第1回

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日本人の化粧のはじまりはいつだったのでしょう。現在確認されているのは、3世紀後半頃の古墳時代。身分の高い豪族のお墓の副葬品である「埴輪(はにわ)」に、赤い顔料で顔や身体に化粧を施したものが残されているのです。赤い色は悪いものから身を守るという呪術的な意味があると推測され、それは血の色や太陽に通じているからだと考えられています。現代の私たちの“おしゃれ感覚”のメークとは、全く異なるものでした。

 

武士の時代になると、男女の化粧には大きな違いが見られます。儀礼としてのお歯黒や眉化粧はすでに「たしなみ」へと変わっていましたが、そこに化粧が組み込まれるようになると、庶民にも徐々に広まり始めます。その際、コストバランスなどで工夫された化粧法が考案されていました。例えば、白粉には鉛が広く使われるようになったのも、軽粉(水銀白粉)と比べて安価だったからです。個性のない時代、化粧は「たしなみ」となり、お歯黒や眉化粧の仕方が『都風俗化粧法』などの書にも詳しく説明されました。ちなみに、日本の化粧(の色)は「白・赤・黒」(※顔に塗る白粉の白、口紅や頬紅の赤、お歯黒や眉化粧に用いる黒)の三色より成り立っているのだとか。

 

file185 「和の化粧」|NHK 鑑賞マニュアル 美の壺

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美容専門雑誌を参考にメイクテクニックを磨く女性たち。実は、似たような本が200年前にもありました。江戸時代から大正時代まで版を重ねたロングセラー、「都風俗化粧伝(みやこふうぞくけわいでん)」です。低い鼻を高く見せる化粧法など、さまざまな化粧法が記されています。白粉(おしろい)の白、口紅の赤など化粧品の種類も色数も限られていた江戸時代。女性たちは、精一杯工夫をして化粧を楽しんでいました。

 

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化粧の文化史 | 日本化粧品工業連合会

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江戸時代、女性たちが特に心して行なったのが、白粉化粧で、諺の “色の白いは七難かくす” の通り、色白が美人の第一条件だったからである。白粉には、鉛白粉が使われ、水で溶いて手や刷毛で付けた。紅は主に紅花から作ったもので、唇、頬、爪などに塗ったが、白粉と同様、薄くつけるのが上品とされた。お歯黒は中世以降、成人式あるいは婚礼といった通過儀礼と深く結びつき、江戸中期以降には、結婚に前後して歯を染め、出産すると眉を剃り落としたので、既婚女性を象徴する化粧になった。 

 

 顔料とは文字通り、顔の化粧には切っても切り離せないものですが、昔の顔料は今日とは程遠いものから始まっています。たとえば、緒土(酸化鉄を含んだ赤茶色の土)、藍銅鉱、孔雀石、アンチモン、黒色酸化マンガン焼成アーモンド、カーボンなどであったと推定されています。日本では、明治の末期に至るまで、白粉(おしろい)が使われました。最初は米の粉だったのですが、中国から鉛白(塩基性炭酸鉛)がもたらされて以降、遊女たちに普及しました。しかし、鉛中毒という問題が深刻になり、明治では製造販売が禁止になっています。これを契機に新しい白粉原料が開発され、亜鉛華や二酸化チタンが用いられるようになりました。また、タルクや雲母といった粘土鉱物も、滑らかな感触とツヤを与えるとして重宝され、さらにカオリンや炭酸カルシウムが、皮脂や汗を吸収する素材として採用されました。他方、豊富な色調と高い彩度という点では有機顔料が合成されるようになりましたが、人体に対する安全性の問題から規制が厳しく、主にはポイントメーキャップの材料に限定されました。このように、色材の歴史とは、天然の好物や植物性色素に始まり、合成の有機顔料、そして無機顔料へと発展してきましたが、膨大な材料に加え、近年の「超微粒子化」「真球状化」「薄片状化」「複合化」などの技術が適用され、機能性粉体という新しい技法にも光が当たっています。

 

最後に、化粧研究が面白いのは、いまだに、「なぜ人は化粧をするのか」の解が見つかっていないことです。物事には必ず「事始め」があり、何をきっかけに、動物(人)が化粧という行為を始めたのか。社会的・文化的な現象の一つとしてとらえるだけでいいのか、それとも暑さ・寒さ・紫外線・乾燥などから身を守る手段として生まれた知恵なのか、はたまた宗教・呪術的な必要から生じた儀礼なのか、調べるほど色々な諸説が集まってきます。化粧とは人類の歴史とともにある、そう言っても過言ではないでしょう。