あらためて、英米が覇権を握った近現代史を振り返る

ビジネスパーソンのための近現代史の読み方

ビジネスパーソンのための近現代史の読み方

 

 

歴史を逆から見ていこう。それが本書の特徴です。たとえば、風向きが変わりつつある「グローバリゼーション」。これはそもそも金融を中心に、英国と米国が始めたものです。 ロンドンが世界金融の中心であり続ける理由は、国際金融センター指数という指標で第一位なことにも裏付けられています。ファイナンスシステムに必要な人材、情報、資金という様々なインフラは、他では簡単に代替できるようなものではないのです。しかし、実際の強みは他にあると言われます。それは、「世界最大のタックスヘイヴン」網とのつながりです。橘玲氏のコラムにも書かれています。:

 

 

イギリスはジャージー島ガーンジー島マン島の王室属領、ケイマンやジブラルタルなどの海外領土、シンガポールキプロス、バヌアツのようなイギリス連邦加盟国、香港などの旧植民地がタックスヘイヴンの重層的なグローバルネットワークを形成している。

 

2008年のデータだが、シティ(ロンドン)は国際的な株式取引の半分、店頭デリバティブ取引の45%ちかく、ユーロ債取引の70%、国際通貨取引の35%、国際的な新規株式公開の55%を占めた。

 

 

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そんなイギリスが、金融センターの地位を維持しながら、欧州の統合市場を巧みに利用し、今日に至っています。その影響力はいまやアジアの成長を大きく取り込み、必ずしも欧州市場に完全依存ではありません。この立ち位置から、今、イギリスでは欧州統合から距離を置こうとする意見が強くなり、ついにEU離脱を決めました。本書はこれを、「グローバリゼーションの完了」と呼んでいます。本質を突いていますね。反グローバルではなく、自国に有利なグローバル化はここまでいいとの判断なのです。

 

他方、その衰退論が語られて久しい米国ですが、いまだに、10隻もの空母(100機近い艦載機と5万人以上の人間を乗せた移動する軍事拠点)を展開し、圧倒的な軍事力を有しています。ロシアや中国はこれに遠く及びません。世界中に海外基地を有し、その代表的なものは、日本・韓国やドイツの他の地域にも広がっています。実は経済的にも、シェールガスを発掘できるようになったのは重要です。中東問題に距離を置いても構わなくなったのです。しかも米国には、「使えない」核爆弾よりもっとすごい武器があります。その最終兵器が金融制裁です。基軸通貨ドルは、第三国間の取引にも使われています。この使用を遮断してしまえば、多くの国は生計を立てられません。戦前の日本はすでに、アメリカの金融制裁によって、対外資産を凍結され、国際貿易から締め出されてしまったのです。

 

そんな「アメリカの世紀」にあたって、ベトナム戦争は単純なアメリカの敗北を意味しません。アメリカが精神的なショックを受けたのはともかくとして、日本や韓国などがその特需の恩恵を受け、周辺の東南アジア諸国も巨大な資金援助を受けられるようになりました。また、アメリカが中国と電撃的な和解に達したのも、ベトナム戦争があったからです。「アメリカの世紀」とは植民地という手法ではなく、価値観と市場関係に縛られた同盟国が全世界でアメリカとつながったことに他なりません。

 

今日、グローバル化の波が、世界中に新たな対立の構図を作っていますが、その昔、資本主義の普及が、世界を大混乱に陥れました。それが世界恐慌です。本来、恐慌であれ、不景気であれ、資本主義にはつきものの景気循環です。しかし、人類が初めて経験した株式市場という資金循環サイクルは巨大に成長し、多くの人々を翻弄してしまいました。その結果、負のサイクルに突入すると、敗者となった人々は資本主義に疑問を持ち出します。「三つの新体制、ファシズム、ナチズム、ニューディール」という表現が登場したのも、制御不能となった資本主義に対して、人類が編み出した新たな挑戦だと当時はとらえられていました。ニューディール政策は、米国の希望の光にもなっていましたが、それは公共工事を主軸とする大規模な財政出勤政策のことであり、イタリアやドイツでも行わていたことなのです。当のアメリカも(ルーズヴェルト大統領の時代)、産業規制強化、証券取引法制定、無数の公共事業創出、住宅補助制度や老後の保障制度など、資本主義の大胆な修正に乗り出していました。つまり、当のアメリカも含め、資本主義は自己矛盾を爆発させ、各国が自国ファーストの政策を繰り出しました。それが対立を先鋭化させ、第二次世界大戦の呼び水になりました。グローバリズムの反動が、今後どうなるのか、非常に心配すべきことです。

 

 

世界的「反グローバル化」の流れは統計にも表れている | 本川裕の社会実情データ・エッセイ | ダイヤモンド・オンライン

先進国への純流入(年平均)は1980年代までは100万人台前半のレベルであったが、1990年代前半には一気にそれまでの2倍以上の250万人を越えるレベルへと急拡大している。直接のきっかけは、ベルリンの壁崩壊(1989年)、ソ連崩壊(1991年)、ユーゴスラビア解体(1992年)といった東西冷戦体制の終焉を告げた諸事件だ。

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上述したことは、今日につながる「グローバリゼーション」の反動が強まっていること。また、英米を基調とした「パックス・アメリカーナ」が完成し、英米の主導したグローバル化も調整局面に入ったこと。さらに、昔、資本主義の欠陥が招いた反動政策が、世界規模の戦争を招いてしまったこと。この三点を並べてみると、未来に対して不安を抱かざるを得ません。

 

話を冒頭のイギリスに戻しましょう。近現代の歴史は、大英帝国を抜きには語れません。19世紀、英国によって海底ケーブルが敷かれ、情報通信革命が始まりました。技術的には、米国でモールス信号が発明されたり、マレー半島原産のガタパーチャという天然ゴムの利用が可能になったりしたことで、海底電線用ケーブルが造れるようになったことも大きい。しかし何より、大英帝国は世界中の植民地を有し、人類史上初めて世界の一体化を完成させたことです。そこに通信のニーズが産まれ、交通期間の短縮が求められました。また、通信革命に先立つ交通革命、それは蒸気船によってもたらされました。英国から植民地インドまで、5~8ヶ月かかっていた郵便が、ほぼ1ヶ月強にまで縮められました。しかし、大英帝国の登場はこれらにとどまりません。もうひとつ、冒頭の話につながる基軸通貨ボンドの誕生です。産業革命が始まる前から、イギリスとインド等海外植民地との貿易量は急増していました。それらの決済はポンドで行われ、1816年には金本位制も導入しています。ここに、ポンドが、基軸通貨の道を歩む基礎が創られていたのです。

 

ざっくりですが、英米を中心にした近現代史を見てきましたが、英米覇権時代の曲がり角がすぐそこまで来ているのかもしれません。