文書の書き方をあらためて学んでみる

 「どう書くか」よりも、「誰が書いたか」かが重要になります。読み手はまず、書き手が信頼に足るかどうかを判断したいと考えているはずです。したがって、

1)個人的な体験が題材になっている

2)その体験を通して気づいたことが書かれている

3)その気づきがどう社会と関わっているか、普遍的な意味合いを見出す。

 

この三点がきちんとしている文書は、読み手に安心してもらえるかもしれません。また、これをこのまま文章の骨格にしてもいいそうです。はじめ、中、終わりという具合です。

 

 

人の興味を引くための文書は、相手の共感を引き出す疑問から始まります。たとえばこんな疑問はどうでしょう。

 

子どもの頃にも思っていたのは「唾」とかです。口の中にあるうちはぐんぐん飲んだりしているのに、なぜいったん口外に放出され、外気に触れた途端に極めて汚物と認定されてしまうのか。

 

いい始まりです。そしてなぜだろうと掘り下げていくことで、文章の面白さが増します。そして独自の視点で解き明かすことができれば、最高でしょう。ただし、解が曖昧なままでもいいそうです。「それにしても」とつぶやきを加えて、疑問のまままとめるという手法もあるのだとか。

 

書き手として才を求められるのは、どう書くかという部分です。当然ですね。そこには比喩という多彩な表現を用いて、言葉をより具体的に読み手に伝える作法が存在しています。たとえば、村上春樹氏の表現です。

 

「大学でスペイン語を教えています」と彼は言った。砂漠に水を撒くような仕事です。

 

虚しい仕事と書いてもその虚しさは伝わらない。その虚しさの中身を読み手に想像させるためには、このような表現方法があるのです。砂漠に撒いた水は、その瞬間から蒸発していきます。何のために撒いているのかすら分からない作業です。それが大学でのスペイン語というわけです。見事です。

 

さあ、いよいよ、文章にとって不可欠な「構成」の出番です。要は、書き方には順序があります。文章の核心を最初に書く。これが鉄則のようです。そしてそれは時間軸で言えば、「現在」にあたります。また核心とは読者が知りたい内容でもあります。現在の状況・状態をまずとらえ、その背景・素地となる過去の事情に思いをよせ、そして未来に思いをはせる。この順序でこそ、読み手を飽きさせません。一般に言われる「起承転結」は、「起承」が現在にあたります。たとえば現在の描写を「起」に、その心境を「承」に書くようなイメージです。その上で視点を変える、過去に遡って振り返るなどの新しい見方が生まれ、それが「転」となります。そのまま読み手の好奇心を引っ張って未来につなげれば、これが見事な「結」です。

 

最後に、理解と納得。これで締めくくります。この二つは似て非なるものです。頭で分かって、心で受け入れていないことなど、山のようにあるでしょう。それこそ、深く、自分の心の中を洞察してみれば、面白い発見があるかもしれません。人が心底納得するためには、知性・感情・意思、いわゆる知情意にきちんとアクセスして、読み手の心に訴える必要があります。むしろ、書き手が自分の思考を整理するためにも、この三つの角度から整理し直すのは意義があることだと思います。主題に対して鋭く切り込みながら、恥ずかしく嬉しくドギマギしてしまう人の心理に触れるような場面を表現します。それでいて人と事象との間の関係性を問い直し、独自の結論を導き出します。言うのは簡単ですが、実際には大変な作業でしょう。ひとつ、見事な表現をご紹介しておきます。

 

五輪より一輪の花 被災地へ

 

本稿で紹介している書中に出てくる川柳です。被災地とは福島県のことを指し、脱原発を訴える方の視点で書かれたものだそうです。五輪を祝うことについての異論はおそらくないはずです。それでもみんなの思いを被災地に向けてもらいたいという切なる願いは、「一輪の花」に託され、忘れられがちな福島の地への注意喚起を行っています。東京への五輪招致では、「福島から遠く離れて安全」とPRされながら、その東京は長年、福島からの電力に支えられてきました。その矛盾を解決する手段はありませんが、せめて「できることの何か」を忘れないでほしいという結論付きで、福島の方々含めて五輪を歓迎したいというニュアンスが伝わってきそうです。これは川柳ですが、表現手法ひとつで、実に多くのメッセージを伝えられるものだと感心させられました。

 

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