「靖国問題」の解決は実は難しいことではない

直近の「145年の歴史」をたどった書を紐解くと、ひとつの真実が見える。誰がなぜ怒っているかという問題だ。「色々」な人が歴史的に絡みすぎた。だから、ある角度、ある立場のみで、語るべきではない。

 

靖国神社 (幻冬舎新書)

靖国神社 (幻冬舎新書)

 

 

一番いいのは、好きな人が勝手にやればいい。ただし、政治家だけは「公」の立場で関与すべきではない。すべての元凶はここにある。誰ひとり、靖国神社の曲がりくねった背景を代表できる立場にない。上掲書を読んだ上での感想は、特定の立場の人間が、それ以外の人々にそれを押し付けようとした。それが「靖国問題」である。

 

  • 1)靖国神社(東京招魂社)は、戊辰戦争戦没者(政府側)を祀る施設として創建。
  • 2)その後、旧長州・土佐・水戸藩士など、維新殉難者の合祀を開始。
  • 3)旧会津藩など、幕府側の戦死者も合祀。
  • 4)勝利した日清日露戦争戦没者も祀られたことで、「ハレ」の舞台に。
  • 5)戦争の拡大で戦死者が増えたため、軍主導で曖昧な合祀基準を策定。
  • 6)戦後、日本政府の意向として、民間の一宗教法人の形態へと移行。
  • 7)終戦直後に、氏名不詳のまま戦没者を(密かに)合祀し続けた。
  • 8)BC級戦犯の合祀は1959年の例大祭でひっそりと行われた。
  • 9)長く保留されていたA級戦犯が「昭和殉難者」としてこっそり合祀(1978年)。

 

 

 

合祀に関わる作業は、日本政府が関わってきた。民間宗教法人という建前に関わらず、国家判断として、合祀者が選ばれ、推薦されてきた。最後には、「天皇陛下の御参拝は強いてお願いしない」という宮司の判断が確信的に行われ、A級戦犯合祀となった。そして逆に、政治家たちが、わざわざ公言して参拝するようになった。

 

一宗教施設であるところに、政治家が「公的に参拝」する。もちろん、神社の生い立ちを考えれば、国家関与の施設ではあることは明白だったが、そこは憲法で規定した通りである。宗教は政治と離別しておくにこしたことはない。政治家が屁理屈を重ねて、憲法違反行為を重ねるのはあまりにも見苦しい。ましてや、国民の総意に基づかいない戦犯の合祀がなされたところである。アメリカ主導の戦後体制を受け入れた以上、日本政府が戦犯を「英雄視」するかのような行為は、過去の侵略戦争を肯定していると思われてしまう。

 

英雄たちに捧げられた10の記念碑 - GIGAZINE

http://i.gzn.jp/img/2008/06/16/10_stunning_monuments/1460860158_ee1c5afc92.jpg

 

政治問題とすべきではない。中国や韓国が騒ぐから「政治問題」となったのではない。日本人の中には、過激派や好戦派、無知や無関心など、「色々」な人間が靖国問題を論じ、こうなっている。幕末以來の戦争が日本を変え、多くの人の犠牲に上に平和国家・日本が成立した。欧米の侵略に怯え、アジアの人の開放を願い、武器を手にして暴走してしまった、その歴史に学ぶ必要がある。祖先の人々に敬意を払うことは日々の生活の中でもできることで、靖国問題を表に出してきて騒ぐことでは決してない。